抱擁 ver.フィシス * * * そこは人の気配のない静かで冷たい空間だった。 時折、部屋の中央に設置された装置の整備・調整に訪れる者もあったが、それも一年のうち数える程度でしかない。 その場所を最初に好んだのはブルーだった。 青の間よりも更に人の出入りが少ないここには、記憶の残り香も空気に溶けていない。 その冴え冴えとした空気がブルーには心地良かった。 青の間もその奥にあるプライベートエリアもブルー自身の生の感情の残影が多すぎて、闘いによって生まれてしまった悲しみ、怒りといった負の感情を宥め、再び飲み込むことが出来ないからだった。 ―――捨てるという選択はないのですか? 救えなかった子供の悲しみに囚われてしまい、数日間恐怖と悲しみの感情の嵐の中で蹲り、ようやく正気に戻ったブルーにハーレイがそう尋ねたことがあった。 考える必要はなかった。 ―――ない キッパリと言い切る。 ―――記憶を捨てるということは、その子供の存在を否定することだ。 今はもう失われてしまった命でも、確かに存在していたものを消そうとは思わない。僕は全部抱く。どんな記憶もどんな感情も。 ―――しかしそれではいつか貴方の心は悲しみに満たされ、悲鳴を上 げてしまいます。 ―――だからここが必要なんだ。どんな感情にも冒されていないこの 空間が。僕が事実を嚥下するに必要な場所なんだ。 それでも、と食い下がる男でないことは、ブルーもハーレイ本人も理解していた。 そしてこの天体の間は、ブルーにとってなくてはならない場所になった。 * * * 成人検査でミュウと断定され即時処分されようとしている子供を緊急に救出することになった。 慌ただしく小型機がシャングリラから飛び出して行く。 サイオンシールドによる防御、軍のレーダーよりも広いサイオンレーダーの捕捉範囲―――それらによって仲間の救出の主導は今はもうブルーから戦闘班へと移っていた。 無事に救出し誰もがホッとした時、小さなミスが起きた。 だが小型機を操縦する者と通信を受け持つ者、双方がほぼ同時に起こしたそれは、気がついた時大きなミスになり、小型機は敵の真っ直中に突っ込んでいた。 状況を視ていたブルーは瞬時に青の間から小型機まで跳んだ。 シールドを張り、小型機の操縦者と救出された子供を見やる。 精神を鷲掴みされるような恐怖の感情がブルーに襲いかかった。 「助けて!」 精神を引き裂くような悲鳴を聞きながら、ブルーは小型機ごとシャングリラに移動させた。 格納庫に突然現れた小型機に驚いたものの、その場にいた仲間たちはすぐに中の二人を引っ張り出す。 船長にブルーが船から出たことを伝えられたノルディは、直後、医療室から救命キットを持って格納庫に走っていた為に、二人を床に寝かせた頃には格納庫に走り込んでいた。 「下がって」 言いながら二人の様子を見る。 ああ、とノルディは心の中で悲痛の声をあげた。 操縦していた青年は重症ではあるが命に別状はなさそうだった。応急手当を助手に任せ、その後医療室に運ぶよう指示する。 だが子供の方は………。指示しながら蘇生を試みるが、効果がないと分かるのに時間は必要なかった。 恐怖の色に染まったままの瞳を、瞼を落として隠し、医療室に運ぶよう指示する。 集まった仲間たちは子供の受けた恐怖に同調してしまい、震え出したり、泣き出す者がいた。 「体調が悪いと感じたらすぐに診察を受けるように」 言い残してノルディは医療室へと走った。 救出に失敗した時の常だった。 死に際して発せられたサイオンは強い。 それはたとえサイオンが発現したばかりの子供であっても、恐怖や痛みの感情は激しく残留思念として肉体に留まってしまう。 そしてそれを目の当たりにした者は、その思念に影響されサイオンを乱してしまうことが多い。それが体調不良に結びつき、時には数ヶ月も寝込んでしまうこともあるのだ。 一度崩れれば呆気ないほどミュウの精神は脆い。 繊細であるというのは、非情な現実を突きつけられる機会の多いミュウには歓迎されない性質だった。 《……キャプテン》 走りながらノルディは思念でハーレイを呼ぶ。 《状況はどうだ?》 《救出に向かったディガットは重症ですが生命の危険はありません。………しかし子供の方は蘇生出来ませんでした》 《外傷によるものか?》 問うハーレイの思念に緊張が含まれているのがノルディに感じられた。 《………いえ。恐怖が引き金のサイオンの乱流だと考えられます》 一瞬間があり、了解の意がノルディに伝わった。 救出が無事に行われた時に比べ、そうでなかった時の事後処理は時間を要する。 一番の問題は精神的なケアだった。 今回のように恐怖に支配されたまま死に至ってしまった子供を目の当たりにした時のダメージは大きい。 一人の同調が二人、四人と相乗的に広がっていってしまう。 負の感情の共有はよくないと分かっていても、恐怖を知ってしまった不安から誰かに伝えずにはいられなくなってしまうのだ。 それを止められないのがミュウの弱さだった。 医療室は不安を訴える者が押し寄せていたが、ノルディは泣き言一つ言わずに一人一人に対処していた。 そしてハーレイはようやく事後処理を終え、青の間に足を向けていた。 このサイオンの乱れの影響を最も受けるのが、ブルーだからだ。 だが真っ先に行けばブルーに叱責される。 子供の死の思念に囚われた仲間のケアを先にと言い、それが済むまで自分の状態を一言も話さず診せもしないのだ。 ブルーの肉体の限界が来ていることは本人の口からも告げられ、そして今はもう誰の目にも明らかだった。だからハーレイ以下長老たちと医療部は、いつも必死に仲間のケアに走るのだ。 先に思念で青の間に行くことを告げようとしたが、眠っているかもしれないと思いそのまま出向くことにした。 今はもう長老と呼ばれる五人にはいつでも開け放たれている青の間に、許可を求めずハーレイは足を踏み入れる。 スロープをゆっくり上れば、そこに主の姿はなかった。 だがつい先程まで休んでいたらしく、乱れたブランケットを直そうとすればまだ温かかった。 (………あの場所に…) ではしばらくブルーを呼ばずに、とブルーの身を案じる長老たちとノルディに伝えた。 * * * 気配に気づいたフィシスはそちらに意識を向ける。 小さな靴音が耳に届き、それが次第に大きくなり止まる頃には自然と笑みが浮かんでいた。 「ソルジャー」 「お邪魔じゃないかな?」 テーブルの上に広げられたカードを見ながらブルーは尋ねた。 「これからお茶にしようと思ってましたの」 手のひらを向けて「どうぞ」と勧めればブルーはほんの少しの間をあけ「ありがとう」と言いながらマントを揺らして椅子に座った。 「フィシス様」 お茶の用意をして戻ってきたアルフレートは、そこにブルーの姿を見つけると尋ねるように名を呼ぶ。 それに柔らかな笑みで応えると、アルフレートは戻っていった。もう一人分のティーセットを取りに戻ったのだ。 「手間を取らせてしまったようだ」 「まあ。この船にそれを不快に思う者はおりませんわ」 自嘲気味な表情がブルーに浮かんだが、それをフィシスは見ることが出来なかった。 だが僅かに空気の温度が変わったことを感じた。 変わらぬものの形状、たとえば日常使う道具や船内のマップなどはサイオンを用いてブルーから情報を得てその一部に触れてさえいれば何とかなるが、表情や動きは気配や音などから感じ取るしかなかった。 そしてそうしてでしか生きられないフィシスには、声音も空気の揺れも温度の変化も感じられる。 「ここは、いつ来ても変わらない」 「大切な場を占領してしまって、申し訳ないと思っておりますけれど」 「装置があるだけで人の出入りはないから大丈夫だ」 部屋の中央に位置する装置を見やりながらブルーは呟いた。 「ここ、とても好きですわ。静かで。空気が綺麗で沢山のものがよく響いてきますから」 「そうだね。ああ、ほら、楽しい音が響いてくる」 言った瞬間、「あっ」という小さな声が届いた。階段を上ろうとしたアルフレートがバランスを崩してしまったのだ。幸いすぐに立て直し、最悪の結果は免れたが、いっそその方がブルーの忍び笑いを聞かずに済んだかもしれない。 恥ずかしさに肌に熱を帯びてしまったアルフレートは謝罪の言葉とともに歩み寄り、ティーセットをテーブルに並べる。 「そう言えば、初めてここに来た時も転んだね」 「………今は転んでおりません」 語尾を強く発音すれば、ブルーは「そうだね」と口にしたが、笑い声は先程より大きくなっていて、それをフィシスが咎めるように名を口にした。 「ソルジャー」 「あの時、二人とも笑っただろう? 僕は転んだだけで笑い合っている理由が分からなくて笑えなかった。だから今はその時の分だ」 「それは良くない言い訳ではありませんか? ソルジャー」 「…そうかもしれないな。でもあれで君たちは仲良くなったのだから」 「ええ」 「仲良くなど! 私はフィシス様のお役に立ちたいと心から思っております」 真剣にそう主張すれば、ブルーは静かに肯定した。 「それが君がここにいる意義、生きる目的だと言っていたね」 「そうです」 「だそうだよ、フィシス」 「わたくしはお友達の方が嬉しいのですけれど」 「とんでもありません。フィシス様はフィシス様です。我々の女神様でいらっしゃいます」 まだ幼かったアルフレートにそう教えたのはブルーだった。 救出されたものの、船内に身の置き所のないアルフレートに、ブルーが居場所を与えたのだ。 その容貌から一歩退かれてしまったアルフレートと、ミュウというい括りから外れているフィシス。 そしてフィシスとは別の意味でその括りから外れているブルー。 三人が三人ともこの場所を好むというのは、何か不思議な気がしたが、それをブルーは口にしなかった。 「お茶を、いただきましょうか」 フィシスの言葉にアルフレートはティーカップに紅茶を注ぐと、一礼して階段を下りて行った。 それをブルーが見送る。 その瞳には微かな羨望がのっていたことに、フィシスだけでなくブルー自身も気づかなかった。 「ソルジャー? どうかなさいまして?」 「―――彼はよく尽くしてくれるね」 「わたくしの自由にならないところを、とても良く助けてくれます。でも……」 フィシスは小さなため息をついてから、 「本当は一緒にお茶を飲んだりしたいのですけれど」 フィシスのことを女神と教え込んだブルーに少しに非難をのせて言えば、 「では今度は嫌がってもお茶に誘おう」 「ソルジャーが仰って下さいましね。そうすれば断れませんから」 「わかった」 でも最初は固辞するだろうな、とブルーが言えばフィシスは同意する。 そうしてしばらくアルフレートと出会った頃の話をしていたが、ふとブルーの視線がタロットに向かい、 「何の占いをしていたのかな?」 「……何も」 「意味のある置き方をしている。何か占ったのだろう?」 「何を占ったのか、お話をして笑ったら忘れてしまいましたわ」 「それは困った。忘れ病に罹ったかもしれない。ノルディに相談してみよう」 「まあ、ソルジャーは―――」 「隠者、星、月……」 フィシスはサッと手を伸ばし、カードを混ぜてしまった。 落ちた沈黙に俯いてしまったのはフィシスで、ブルーはいたたまれずに立ち上がるとフィシスの傍らに跪いた。 「フィシス………フィシス。聞いてしまってごめん」 小さく首を横に振ったフィシスの手に手を重ね、 「今日も視せてくれるだろうか?」 「…もちろんですわ。ソルジャーがお望みなら、いつでも」 ブルーの、少し冷たい掌を感じながらフィシスは蒼い星の記憶へとブルーを導いた。 * * * 「アルフレート!」 常になく強い口調で呼ぶ声に慌てて駆けつければ、フィシスが椅子から落ちそうになりながら、跪いたまま力を失ったブルーの身体を支えていた。 駆け寄ってアルフレートがブルーの身体を抱き止める。その間にフィシスは思念波でハーレイを呼んだ。ソルジャーが…と伝えただけで理解し、ノルディを伴ってすぐに行くと返答があった。 意識のないブルーの表情が苦しげでないことに安堵を覚えながらも、張り裂けそうな思いに耐えきれず床に座り込みブルーをそっと抱きしめた。 「一人で、心だけ行ってしまわないで」 囁いても反応はない。 「ブルー!」 叫んだ瞬間、天体の間にハーレイとノルディが駆け込んできた。 離れなくてはと自分に言い聞かせてフィシスはブルーを抱く腕をほどき、身を離した。 アルフレートに変わってハーレイがブルーの身体を支える。 手早く診察をしたノルディは、 「大丈夫です、フィシス様。お疲れになられたようです」 「でも………」 「ご病気ではありません。お休みになることが一番の薬です」 「違うのです。ブルーは…ソルジャーは………」 ―――あの星に焦がれて、私の記憶の中に閉じこもろうとしているの です 言えずにフィシスは両手で顔を覆ってしまった。 「フィシス様。どうぞご自分をお責めになりませんよう」 首を横に振った。 「誰が悪いわけではありません」 その言葉にもフィシスは首を振った。 「ご自分の体調をソルジャーはよくご存知です。それをおしてフィシス様にお会いになるためこちらにお出でになる意味を、どうぞ汲んで差し上げて下さい」 違う、とフィシスは首を振った。 最初はそう思っていたのに、いつからか違うことに気づいていた。けれどそれでブルーの苦しみが少しでも癒えるならいいと思った。 だが不安と悲しみ、そして絶望と終焉がブルーの精神を襲えば、何ものも癒すことは出来なかった。 癒されぬ魂を、フィシスは見つけてしまったのだ。 「―――フィシス様」 「……ごめんなさい」 呟いてハーレイに抱き上げられたブルーを見た。 その肉体に精神はない。 しかしハーレイたちは自分たちの思念波が届かないほど深い意識の奥底で、休息をとっていると思っているのだ。 過去に、そういうことがあったから。 今、違うと知っているのはフィシスだけだった。 ブルーの意識は自分の記憶の内にある。 「では失礼いたします」 用意してきたブランケットで全身を包んだブルーを優しく抱き上げたハーレイは、ノルディと共に天体の間を出て行った。 フィシスが両手を胸に当てれば、ブルーの体温のような、少し冷たい意識を感じる。 《………戻っていらして下さいね。いつものように。わたくしはここで変わらずお待ちしております》 そっと自分の心の中に言葉を贈った。 自分を抱きしめれば、ブルーの少し冷たい意識はフィシスと同じ温度になり、境が分からなくなった。 抱擁 〜 ver.フィシス 了 BY AOI ARUTO
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